『はんまあさま』

かわらばん



「はんまあさま(草雛)」は、
稲取に昔から伝わる重陽(ちょうよう)の節句の行事です。
とくに漁師の家でこの日を祝う行事が残っています。

この行事は、9月8日にハマユウの葉で武士の姿をかたちどり
(この人形をはんまあさまと言っています)、
他にイカやサンマの形をつくって一晩まつり、
翌日9日の夕方に『いかとさんまにならっしぇよ・・・』ととなえながら、
泣きまねをして海に流します。
稲取地区には、はんまあさまの行事がはじまるきっかけとなった
次のような伝説があります。


むかし、むかし、稲取が小さな漁村だったころのお話です。
その年は、海へ出ても一匹の魚もとれず稲取の漁師たちは、
陸にあがった河童のようなもので、毎日、毎日、ぼんやり海を見て暮らしていました。

そんなある日、漁師が浜に出て遠くの海を見ていると、
竜宮様の沖にかけて、カモメの群れが、空いっぱいに舞い飛んでいました。

「とりやまが、ついたぞ。」
「漁が、あるぞ。」
「それ、舟を出すぞ。」

と、それは、それは、浜は、今までの空気とは打って変わり、
明るいにぎやかな喜び声にかわり、久しぶりに漁ができると勢いこんでいました。

ギー ギーコ ギー ギーコ
ギー ギーコ ギー ギーコ

ろをこぐ人も、舟のかじをとる人も、とりやまめがけて必死になって舟を走らせました。

ヨイサ コラサッ ヨイサ コラサッ
ヨイサ コラサッ ヨイサ コラサッ

舟を走らせながらも、とりやまに目を皿のようにして必死になっていました。
漁師の目は、とりやまの下に注がれました。
すると、丸太を組んだイカダのようなものがあるのに気がつきました。
一気に舟がとりやまの下まで行くと、
イカダの上には、いくさに敗れたと思われる武士が、
折り重なるようにして息が絶えていました。
久しぶりに漁ができ大漁だと勢いこんだ漁師は、
ちょっと気落ちしてしまいました。

しかし、そうかといって稲取の港に帰って来るわけにはいきませんでした。
海で働く漁師の仲間にとっては、遭難者があったり、
仏様が流れていたりするのを見て、そのままにしておくことはできません。
見て見ぬふりはできないのです。
生きていれば救助するか、仏様になっていれば、
港まで運び、ほうむってやるというおきてみたいなものがありました。

そこで、船頭さんが、
「おめえらー、今、漁がなくて、みんな困っている。
きょうもな、とりやまを見て急いできてみたら、おおぜいの仏様だ。
おめえらー、手あつくほうむってやるべえ。」

と、漁師たちに大きな声でいいました。
たくさんのカモメが、魚の群の上で乱れ飛んでいる海の上で、
漁師たちは、日やけした両手を合わせ、口々にお経を唱えました。
漁師たちの唱えるお経の声はしだいに大きくなり広い海へ流れていきました。
いくさに敗れてイカダの上で仏様になった武士は、
漁師たちに手厚くほうむられました。
その年をさかいにして、
稲取の沖では、イカとサンマが、たくさんとれるようになりました。

今でも、稲取の漁師は、漁をさせてくれる仏様を、

「はんまあさま」
「はんまあさま」

と、言って、毎年9月8日、9日におまつりをしています。
稲取が、小さな漁村だったころのお話です。
(『南国伊豆の昔話』より) }




この伝説にもとづき、
毎年9月8日、9日に漁をさせてくれるこの仏様に感謝する行事が「はんまあさま」です。
近ごろは、この日に「はんまあさま」をつくり、祝う家も少なくなりましたが、
港町としてにぎわってきた「稲取」が、長い間伝えてきた行事です。
写真は「稲取ふるさと学級」で子どもたちが作ったはんまあさまです。
はんまあさまは7体つくる場合が多いようですが、正式に数が決まっているわけではありません。
ただし奇数個でなければいけません。
ハマユウの葉で左前の着物に松葉の刀を一本差し、お盆に乗せます。

※「はんまあさま」は各家に昔から伝わるつくり方がありますので、すべて一緒というわけで
はありません。